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親鸞聖人750回忌御正当 [お寺]

本日2012年1月16日は親鸞聖人の750回忌のご命日(御正当)(ごしょうとう)でした。

昨年春から750回大遠忌のご法要が本願寺で執り行われ、この世相の中大勢の方の参拝を頂き無事勤められました。
750年前と 今と 変わらなければいけないこと 変わってはいけないこと 守って伝えていかねばなりません。

私は都合で京都には本日行けなかったので、家族でネット配信された中継を見ておりました。
その法要前の記念法話で 大阪の天岸浄円師が 
「たいせつに生きる」という言葉を御法話でお使いになられていました。

たいせつに生きる あたりまえに聞こえる言葉ではありますが、現代の人間が一番粗末にしている言葉かもしれません。

大半の動物は 「ひたすら生きる」という事ができます。自分の命におごることなく、無駄にすることなく、頂いた命をひたすら生きることができます。
一部の人間は 動物には死が理解できない という事を主張される方もいらっしゃいますが、はたして本当にそうなのか、では自分自身は正しく理解できているといえるのだろうか、仏の救いを人間と人間以外の動物で線の引くことで優越感の中で安心しようとする人たちは声高々にそれを言われますが、浄土真宗の救いの大前提として
「阿弥陀様は一切のいきとしいけるものの命を 必ず救う」
と誓われています。

産まれてきたこと 生きている事を 自分の力だと自尊し、人間であることを喜ぶことは一般的には正しいのかもしれません。
しかし いただいた命をひたすら一生懸命生きることが唯一できない生物は ほ乳類の中の類人猿の中の1種に過ぎない私たちそのものです。 

自分が生きているというのは この心臓が鼓動し 呼吸をし 意識があり それを生きていると言っているわけではありません。今こうしてそばにいて下さる方々や先に一生を終えられた様々な方々の御恩の中に支えられ今ここに居るからこそ 私たちは命が大切なのではないでしょうか。

勝手に生まれてきて 勝手に生きている様な命ではありません。

かぎりあるたった一つの命を頂き、今こうして様々な尊い命に出遇わせていただき、阿弥陀様の願いの中に生かされている命であります。

大切に生きさせていただきましょう。
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