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ホタルの季節 [お寺]

数年前から、自坊から1時間で行ける場所にホタルがたくさん居るのを地元の友人に教えてもらい撮影に行っています。

昨年は少しシーズン遅かったのか、夜は鹿の楽園となっていて肝心のホタルはほとんど撮れなかったのですが、今年は大量に飛んでいる場所を教えてもらい、シーズンに遅れない様なんどか通いました。

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ホタルは虫としては小さな生き物です。それでもしっかり光って自分の場所を知らせています。
ホタルにとっての命の証なのかもしれません。
生きるのはホタルも同じ道、懸命に生きている事に変わりはありません。

自分はどうなのか、人間だから動物だからという区別ではなく、自分はどうなのか、しっかりと問わねばなりません。
皆同じ衆生です。ついつい人間と動物に線引きをし、人間の優位性に自ら酔うのが私たちですが、親鸞聖人は「二足四足多足の衆生、蜎飛蠕動にいたるまで」と教行信証に涅槃経の引用をされています。
本当に皆同じ命なのです。 わすれてはいけません。
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Youtubeチャンネル開設 [お寺]

以前から住職個人の趣味の動画や無人機による空撮映像の公開のためYoutubeは利用していましたが
今回のコロナウィルスによる外出自粛に伴い、お寺の小噺法話のチャンネルを追加致しました。

普段ご法事でお話しさせて頂いている話から、短く抜粋しています。
フルハイビジョン画質ですので、ほとんどのメディアでストレスなく視聴可能です。

https://youtu.be/znbSE4by4FY


気長に話は追加してまいります。
よろしくお願いします。
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滋賀県大津市の犬塚の欅 [お寺]

学生時代に母校である龍谷大学大宮学舎の図書館であれこれ探していた頃、新聞記事のバックナンバーで蓮如上人の愛犬であった柴犬の木像が本願寺宝物として現存していることを知りました。

当時は蓮如上人は柴犬を飼われていたのだという認識くらいしか無かったのですが、後年SNSで蓮如上人と柴犬の話をしていたところ、大津に犬塚があることを教えて頂きました。

本願寺第8代門主である蓮如上人は、本願寺中興の祖と言われていますが、門主となられた時は、本願寺派まだ5間四面程度の本堂だったと言われます。その後徐々に伝道をされていくにつれ、他宗の門徒の方から驚異と受け止められ、蓮如上人の毒殺未遂事件が勃発いたします。
この時、不穏な気配を察した愛犬が、蓮如上人のために出された食事に毒物の混入を知り、自分がそれを食べることで身代わりとなったと言われています。
世間では伝説の様に言われていますが、その身代わりとなった犬を埋葬し、欅を植えたのがこの犬塚の欅です。

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説明板には伝説と言われていますが、愛犬であった柴犬の像を後年蓮如上人がご自身で彫られたのか仏師に頼まれたのかは定かではありませんが、その像が現存することでこの事件が史実であることを物語っています。
蓮如上人が飼われていた柴犬がこの一匹だけとは限りませんが、木像にしてまでその姿を偲ぶというのはよほどのことがない限りあり得ない事です。

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場所は滋賀県大津市の日本赤十字病院の裏手、京阪の駅との間の狭い路地の角です。
京都に行くことはあっても、なかなかここまで足を伸ばすことができなかったのですが、日程がとれ2輪で2018年の3月末にやっと訪れることができました。

この犬が居なかったら、果たして当山の当時の住職が京都に蓮如上人を訪ね、浄土真宗に改宗したのか、それは定かではありませんし、今の本願寺が今の姿かどうかもわかりません。

本願寺の歴史に非常に大きなポイントとなる柴犬の存在を、改めて感じたことです。

湯来町石ヶ谷の名号石 [お寺]

広島の地元新聞である中国新聞の記事に、広島市佐伯区湯来町の岩に掘られた六字名号の記事がありました。

今から250年ほど前に、この地で布教伝道していた僧侶(画像には淨心とあるように読めます)が教えを広めたいとの願いから、湯来町の石ヶ谷の川から50メートルほど上の露出した岩盤に名号を掘り、それを220年ほど前に広島藩の絵師であった岡岷山(おか みんざん)が広島城から北広島町都志見までの旅をする途中で立ち寄り絵に書き留めたものが残っています。

それを220年後に、道楽者の僧侶がマルチコプターを持って撮影に行ってきました。

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場所は、広島から湯来温泉に向かい、湯来町の三叉路を温泉の方へ左折し、しばらく行った所の石ヶ谷峡の看板を右折し、川沿いに入っていった所です。
景勝地でもあり、岩岩に説明看板があります。

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この岩にたどり着くだけでも大変な事ですし、安全ロープなど無い時代に紐で結わえてぶら下がりながら掘られたのだと思います。

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上の岩がひさしの様になっており、地元の方がくり返し修復作業を行われ、現在もはっきりと見えます。

この名号をここに彫り残そうと思った意志とともに、淨心という方にとってそれだけ念仏がすばらしいものであったのが実感として思うことができる場所です。


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広島の盆灯籠 [お寺]

広島県西部(旧広島藩)の一部の習慣として、お盆に竹と紙で作ったカラフルな灯籠をお墓に立てる習慣があります。盆灯籠(ぼんどうろう)と呼ばれています。

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起源は諸説あり、文章で確かな物は残っていませんが、江戸末期には存在したと言われています。
始まりはお墓にある石灯籠の代わりに、手近な材料で手作りの灯籠を供えたのが始まりではないかと言われていますが定かではありません。
戦前は現在の寺町の中の通りに夜店が立ち並び、大変に賑やかだったと言われています。

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広島の盆の墓参りの特徴として、広島特有の夕凪の時間が過ぎ、夜涼しくなってから浴衣で墓参りをする習慣が以前はあり、今も夜9時過ぎまで墓地に照明が入ります。現在は浴衣でお参りされる事は減りましたが、毎年この時期には仏教を示す6色をベースにしたカラフルな灯籠でお墓が飾られます。

昭和40年代までは実際に蝋燭を入れ火を灯していましたが、火災防止のため火は灯さないようになっています。

今年の一年 [お寺]

2013年もいよいよ終わりとなります。

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春と秋が短くなってきた様な気も致しますが、いろいろな事も次第にあたりまえでは無くなってきているものも多く感じます。

何も思わなくてもあたりまえであった大切なことがどんどん消えていき、戻ることのできない道を歩んでいるのかもしれません。

圓龍寺では秋口から本堂横の通路と流し周辺の床が損傷していたものを年末に修理する事ができました、同時に本堂外陣の照明も老朽化していた蛍光灯からLED照明に交換し、目に優しいあかりとすることができました。
本堂内陣の照明も大半がLED化でき、仏具や御絵像さんにも優しい照明となりました。

毎年の報恩講も地道に継続しています。今の時代広島市内で薪を使った炊事というのは珍しくなっていますが、熱意ある御門徒さんの尽力で継続する事ができています。
いつまで続けられるかはわかりませんが、各地の御門徒さんからお寄せいただいたお米や野菜を使わせていただき、薪で炊いたお鉢を仏様に供えさせていただけるのは大切な事と思います。
お斎につかれるかたも今年は少し増え、何事にも代えがたい喜びです。

ありがとうございました。

十二月末に本願寺のお煤払い行事に参加させていただきました。当御門主様の出仕されるお煤払いとしてはこれが最後となります。
来年六月には法灯継承式があり、御門主の座を退かれ新門様が御門主を継がれます。
いろいろな事が変わるかもしれません。変えてはいけないこともたくさんあります。
時流に乗らねばとたかが20年30年単位の事でふらふらして、変えてはいけないものを変えてしまうと、二度と正しい道には戻れないものです。

末寺の住職として、浄土の救いが何か、阿弥陀様の救いをひたすら伝えてゆかねばと思います。

今年もありがとうございました。
                                               合掌

広島城下の盆灯籠 [お寺]

今年もお盆の時期となってまいりました。
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広島城下の墓地ではこの様なお墓にお飾りする盆灯籠が見られます。
最近は安芸門徒の習慣と紹介されることもありますが、安芸門徒と言われるエリア全域のものではなく、広島城下と旧安佐郡の一部(現在の安佐南区の一部)で見られる習慣です。

起源は諸説ありますが、娘さんが亡くなられた方が娘さんのために竹と紙で製作した簡易な灯籠をお墓にそなえられたのが始まりという事が一般に言われています。
市内の江戸期からある紙店が元祖だとか、同時期からある仏壇商の方が考案されたとか、最近は好きな事を言われますが、元祖・本家のたわいもない話です。
江戸末期に広島城下の町人に一番人気だった書物は何か、一番面白かったネタはなにか、そんな日常の事は記録には残らないのです。

本来、お墓に備えられる石灯籠が無いお墓で、お盆の時期だけ簡易な灯籠を使用されたのではないかと思われます。
お盆のお墓参りの習慣は広島旧市内で独特の物があり、暑い日中を避け、「凪」(なぎ)が終わった夕暮れから皆さんが浴衣でお参りをされ、大勢の方が集まられるので屋台もたくさん出て大変に賑やかだった時代が戦前まではあったようです。
戦後の昭和50年前後までも浴衣で夜にお参りされる習慣がありましたが、日中に車でお参りされる方が増えそういう風情もだんだん消えていっています。
本堂や境内で麦茶をお配りし、台所で一日中麦茶をわかし、流しで冷やして、給水器に氷屋さんから氷を持ってきてもらう光景も、一時の食中毒騒ぎからやめてしまいました。
だんだん世の中の考え方が変わってきた時代でもあります。

以前はこの灯籠にろうそくを点し、きれいな明かりでしたが、さすがに類焼事故も多くろうそくは入れなくなりました。(6面の一部が紙が半分しか接着されていないのは、そのろうそくを入れる名残)
これ以外にもお線香の火が類焼する事故も多発し、消防署の指導により墓地周辺が住宅地である場合や、防火管理の徹底ができない墓地ではこの盆灯籠を使う事を中止されるところも増えてまいりました。

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お墓のお飾り(お荘厳)の一つです。香りを御供えする線香、明かりを御供えするろうそく、色を御供えするお花、それと同じく、色や光の御供えの灯籠です。

最近は、灯籠を中止した地域を中心に灯籠に代わる物として、「塔婆」「名号札」「墓参札」を使われるところも増えてまいりましたが、浄土真宗では塔婆は用いません。御名号を印刷した木札を墓前に供えるという行為も、御本尊である御名号をお参り証明程度に粗末に扱う事でもったいない事ですし、お参り証明にオリエンテーリング的なカードを使う必要も無いと思います。
これは、各墓地でいろいろ事情がございますので、その地域の習慣に従われるのが良いと思います。

寺町近隣でも塔婆を販売する教義に無理解な寺院もありますし、いくら言っても販売する悪質な業者もたくさん居ます。
圓龍寺では灯籠の販売には一切関わっておらず近隣の花屋さんが一括して販売されているだけです。

寺院によっては、寺で販売した灯籠しか立てさせないところや、寺で収益事業として灯籠を販売されている所もありますが、なかなか意見が統一できない原因でもあります。

灯籠廃止の地域も増えていますが、お盆のお墓参りに灯籠を用いられない場合は、普通にお花とお線香やろうそくを持たれてお参りされるのが適切と思います。
お参りは仏さまへの感謝以外の何ものでもありません。

親鸞聖人750回忌御正当 [お寺]

本日2012年1月16日は親鸞聖人の750回忌のご命日(御正当)(ごしょうとう)でした。

昨年春から750回大遠忌のご法要が本願寺で執り行われ、この世相の中大勢の方の参拝を頂き無事勤められました。
750年前と 今と 変わらなければいけないこと 変わってはいけないこと 守って伝えていかねばなりません。

私は都合で京都には本日行けなかったので、家族でネット配信された中継を見ておりました。
その法要前の記念法話で 大阪の天岸浄円師が 
「たいせつに生きる」という言葉を御法話でお使いになられていました。

たいせつに生きる あたりまえに聞こえる言葉ではありますが、現代の人間が一番粗末にしている言葉かもしれません。

大半の動物は 「ひたすら生きる」という事ができます。自分の命におごることなく、無駄にすることなく、頂いた命をひたすら生きることができます。
一部の人間は 動物には死が理解できない という事を主張される方もいらっしゃいますが、はたして本当にそうなのか、では自分自身は正しく理解できているといえるのだろうか、仏の救いを人間と人間以外の動物で線の引くことで優越感の中で安心しようとする人たちは声高々にそれを言われますが、浄土真宗の救いの大前提として
「阿弥陀様は一切のいきとしいけるものの命を 必ず救う」
と誓われています。

産まれてきたこと 生きている事を 自分の力だと自尊し、人間であることを喜ぶことは一般的には正しいのかもしれません。
しかし いただいた命をひたすら一生懸命生きることが唯一できない生物は ほ乳類の中の類人猿の中の1種に過ぎない私たちそのものです。 

自分が生きているというのは この心臓が鼓動し 呼吸をし 意識があり それを生きていると言っているわけではありません。今こうしてそばにいて下さる方々や先に一生を終えられた様々な方々の御恩の中に支えられ今ここに居るからこそ 私たちは命が大切なのではないでしょうか。

勝手に生まれてきて 勝手に生きている様な命ではありません。

かぎりあるたった一つの命を頂き、今こうして様々な尊い命に出遇わせていただき、阿弥陀様の願いの中に生かされている命であります。

大切に生きさせていただきましょう。
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寂しいと思うのは・・・ [お寺]

亡くなられた方との別れを 「寂しい」 と思うことはごく当たり前の事なんだと思います。

確かに 今の時代 いつまでも悲しいとか寂しいを引きずっていてはいけないのかもしれません。世の中は前向き 前向き と振り返る勇気も反省もありません。

寂しさは時と共に薄らぐという方もいらっしゃいます。

 でもやっぱり 10年たっても 20年たっても 会えないというのは寂しい事です。

今の時代はこういう感覚をネガティブな物として避けてしまいます。いつまでも寂しさにとらわれてはいけないと「心の癒し」を人は求め、そうする事によって 寂しくない 悲しくない と考えます。

 でも それって 本人が勝手にそう思いこんで納得してるだけでしかないのでは?

亡き人への思いは そんな薄っぺらなものでは無いはずです。


いつまでも寂しいと思っていてはいけないのかもしれません、でも 寂しい と思えるのは亡くなられた方が居てくださった事を自分が大切に思っているからこそではないのでしょうか。
亡くなられた方の御恩に気づかされているから 会えない事を寂しいと思えるのではないでしょうか。

寂しいのは決して悪い事ではありません。何故寂しいのかを考えたとき、そこに大切な一つの命があってくださり、そのたった一人の方にであえた有り難さに気づく事ができるのなら、それは決して無駄にはなりません。

私たちは ひとりでうまれて ひとりでいきている わけでは無いのです。
そういう いのち に出遇っているからこそ、自分の命も人の命も同じ様に大切なのではないでしょうか。

時代に流されて捨ててしまってはいけないものは たくさんあります。見失わない様にしましょう。

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聞法道場での盆法要 [お寺]

とある地域の御門徒の方の依頼で、某所の説教所の盆法要に出講させてもらいました。

学生時代から報恩講の時には案内の方と狭い道を上がったり降りたりし歩き回る古い町です。
今は当時ほどではなく、猫道程度だったものが小型車ならなんとか入れるほど道は良くなりました。

説教所というのは、聞法道場 とか 布教所 と呼ばれるもので、定まった住職は居ないけれども寺院としての機能は持っている地域の集会所の事です。
以前はここにも常駐の管理人さんがいらっしゃいましたが、この春に諸事情で転居されたため今は無人。
宗教法人としての申請はしてない(通らない)ので行政の方からは地域集会所として維持されている様です。

お盆の法要で、この地域の私の寺の御門徒さんだけではないのですが、ほとんどの方は顔見知り。
以前にも御正忌の法座に出講させて頂いたこともあったり、葬儀で来たこともあります。

寺というと 普通は 住職となる僧侶が居て、寺院を開設し、そこへ門徒さんが集まると考える事が多いのですが、地域の方が聞法のために集まり、そのための施設が建ち、常駐する僧侶を招くという寺院の形態もあります。

安芸エリアには私が知っている範囲でも、東広島の近隣有志で設立された寺院、芸予諸島でその集落の一族の人が建てた寺院など決して珍しいものではありません。

現代の都市開教というと、中央から布教師を派遣し、寺院を設立し、そこへ聴聞に集まられるようになる と考える人が多いのですが、そういう物でもないのかもしれません。

在る意味 浄土真宗寺院の特徴です。

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