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広島城下の盆灯籠 [お寺]

今年もお盆の時期となってまいりました。
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広島城下の墓地ではこの様なお墓にお飾りする盆灯籠が見られます。
最近は安芸門徒の習慣と紹介されることもありますが、安芸門徒と言われるエリア全域のものではなく、広島城下と旧安佐郡の一部(現在の安佐南区の一部)で見られる習慣です。

起源は諸説ありますが、娘さんが亡くなられた方が娘さんのために竹と紙で製作した簡易な灯籠をお墓にそなえられたのが始まりという事が一般に言われています。
市内の江戸期からある紙店が元祖だとか、同時期からある仏壇商の方が考案されたとか、最近は好きな事を言われますが、元祖・本家のたわいもない話です。
江戸末期に広島城下の町人に一番人気だった書物は何か、一番面白かったネタはなにか、そんな日常の事は記録には残らないのです。

本来、お墓に備えられる石灯籠が無いお墓で、お盆の時期だけ簡易な灯籠を使用されたのではないかと思われます。
お盆のお墓参りの習慣は広島旧市内で独特の物があり、暑い日中を避け、「凪」(なぎ)が終わった夕暮れから皆さんが浴衣でお参りをされ、大勢の方が集まられるので屋台もたくさん出て大変に賑やかだった時代が戦前まではあったようです。
戦後の昭和50年前後までも浴衣で夜にお参りされる習慣がありましたが、日中に車でお参りされる方が増えそういう風情もだんだん消えていっています。
本堂や境内で麦茶をお配りし、台所で一日中麦茶をわかし、流しで冷やして、給水器に氷屋さんから氷を持ってきてもらう光景も、一時の食中毒騒ぎからやめてしまいました。
だんだん世の中の考え方が変わってきた時代でもあります。

以前はこの灯籠にろうそくを点し、きれいな明かりでしたが、さすがに類焼事故も多くろうそくは入れなくなりました。(6面の一部が紙が半分しか接着されていないのは、そのろうそくを入れる名残)
これ以外にもお線香の火が類焼する事故も多発し、消防署の指導により墓地周辺が住宅地である場合や、防火管理の徹底ができない墓地ではこの盆灯籠を使う事を中止されるところも増えてまいりました。

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お墓のお飾り(お荘厳)の一つです。香りを御供えする線香、明かりを御供えするろうそく、色を御供えするお花、それと同じく、色や光の御供えの灯籠です。

最近は、灯籠を中止した地域を中心に灯籠に代わる物として、「塔婆」「名号札」「墓参札」を使われるところも増えてまいりましたが、浄土真宗では塔婆は用いません。御名号を印刷した木札を墓前に供えるという行為も、御本尊である御名号をお参り証明程度に粗末に扱う事でもったいない事ですし、お参り証明にオリエンテーリング的なカードを使う必要も無いと思います。
これは、各墓地でいろいろ事情がございますので、その地域の習慣に従われるのが良いと思います。

寺町近隣でも塔婆を販売する教義に無理解な寺院もありますし、いくら言っても販売する悪質な業者もたくさん居ます。
圓龍寺では灯籠の販売には一切関わっておらず近隣の花屋さんが一括して販売されているだけです。

寺院によっては、寺で販売した灯籠しか立てさせないところや、寺で収益事業として灯籠を販売されている所もありますが、なかなか意見が統一できない原因でもあります。

灯籠廃止の地域も増えていますが、お盆のお墓参りに灯籠を用いられない場合は、普通にお花とお線香やろうそくを持たれてお参りされるのが適切と思います。
お参りは仏さまへの感謝以外の何ものでもありません。

親鸞聖人750回忌御正当 [お寺]

本日2012年1月16日は親鸞聖人の750回忌のご命日(御正当)(ごしょうとう)でした。

昨年春から750回大遠忌のご法要が本願寺で執り行われ、この世相の中大勢の方の参拝を頂き無事勤められました。
750年前と 今と 変わらなければいけないこと 変わってはいけないこと 守って伝えていかねばなりません。

私は都合で京都には本日行けなかったので、家族でネット配信された中継を見ておりました。
その法要前の記念法話で 大阪の天岸浄円師が 
「たいせつに生きる」という言葉を御法話でお使いになられていました。

たいせつに生きる あたりまえに聞こえる言葉ではありますが、現代の人間が一番粗末にしている言葉かもしれません。

大半の動物は 「ひたすら生きる」という事ができます。自分の命におごることなく、無駄にすることなく、頂いた命をひたすら生きることができます。
一部の人間は 動物には死が理解できない という事を主張される方もいらっしゃいますが、はたして本当にそうなのか、では自分自身は正しく理解できているといえるのだろうか、仏の救いを人間と人間以外の動物で線の引くことで優越感の中で安心しようとする人たちは声高々にそれを言われますが、浄土真宗の救いの大前提として
「阿弥陀様は一切のいきとしいけるものの命を 必ず救う」
と誓われています。

産まれてきたこと 生きている事を 自分の力だと自尊し、人間であることを喜ぶことは一般的には正しいのかもしれません。
しかし いただいた命をひたすら一生懸命生きることが唯一できない生物は ほ乳類の中の類人猿の中の1種に過ぎない私たちそのものです。 

自分が生きているというのは この心臓が鼓動し 呼吸をし 意識があり それを生きていると言っているわけではありません。今こうしてそばにいて下さる方々や先に一生を終えられた様々な方々の御恩の中に支えられ今ここに居るからこそ 私たちは命が大切なのではないでしょうか。

勝手に生まれてきて 勝手に生きている様な命ではありません。

かぎりあるたった一つの命を頂き、今こうして様々な尊い命に出遇わせていただき、阿弥陀様の願いの中に生かされている命であります。

大切に生きさせていただきましょう。
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安穏灯火リレー 安芸教区2日目 [イベント]

安穏灯火リレー、2日目は教区内の宗門校(本願寺関係の学校)を回り県北にて山陰教区の方へ灯火を渡します。

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広島別院8時集合ですが、雨であります。合羽着ます。

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安穏号と本日広島市内からの2輪部隊。

朝の渋滞時間に市内の移動はけっこうしんどいのですが、急用で参加できなくなった単車倶楽部H事務局のデリカが仕事前に先導してくださいました。

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最初は国道2号線沿いの進徳女子高校を訪問。

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生徒会長さんの手により分灯。

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2校目は 普段 花まつり祝賀講演会 でお世話になっている広島音楽高校。

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3校目は私の母校でもある 崇徳学園ですが、2輪は校内に入れなかったので川沿いにて待機。

ここより可部を経由し千代田から大朝町を目指します。
雨は強くなったり弱くなったり、54号線をペースを維持し淡々と走ります。

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54号線安佐大橋を渡った所で 可部ふたば幼稚園の園児たちに大歓迎を受けます。
なかなか嬉しい事です。

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画像でよくわかりませんが、可部町内でも沿道に仏旗や大遠忌の旗を振って大勢の方が応援してくださいます。申し訳ないくらいもったいない嬉しい事です。

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昼前に千代田町にやっと到着。雨の心配もなくなったので合羽を脱ぎ 昼食をいただきます。

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本日は別院の若手職員さんが着ぐるみ着用(これは本願寺少年連盟のキャラクター プトリ と プトラ)
なかなかおもろいです

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もう一人乗せてしまいましょう。後ろに乗ってる着ぐるみの中身は 本願寺の西山別院(研修所)でかつて鬼のTら と呼ばれたTいら指導員の娘さん。
こういう着ぐるみ着てると、前はほとんど見えませんので、このままエンジンかけて乗ってもらうことはできません。

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千代田近隣の有志によりサンクスというショッピングセンターにて記念式典が開催されました。
こういう場所でこんな事ができるのは 千代田という土地の熱意かもしれません。

沿道からの大声援を受け、最終目的地の大朝へ向かいます。

最初の予定では国道261号線の県境あたりで山陰教区の方へ灯火を渡す事になっていましたが、県境の大朝のお寺のご住職のご協力で 本堂で引き渡しを行う事となりました。
いろいろな方々のご協力によって今回のイベントは成立しています。
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世話家の方により灯火が本堂内へ運ばれます。

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ご住職より山陰教区のスタッフの方へ灯火が受け渡されました。

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山陰教区の青いプリウスの先導で安穏号は山陰教区へ向かいました。

西日本コースはこの後 山陰から備後 そして四州教区 兵庫教区を巡り 10月8日に京都の本山へ戻っていきます。

2日間でしたが、大勢の方のご厚意により今回の安芸教区でもイベントは事故もトラブルもなく、無事終了致しました。
仕事でも趣味でも2輪に乗りますが、この様な声援を受けながら走ったのは初めてです。

10月10日はいよいよ「ナナハン西遊記」の定期開催化を目指した 「たんさん」(単車による本願寺参拝)が決行されます。私は所用で参加できませんが、こちらも良い天気に恵まれる事を願っています。

以上、 安芸教区の単車倶楽部による 安穏灯火リレー協力のご報告でした。

安穏灯火リレー 安芸教区1日目 [イベント]

親鸞聖人の750回大遠忌の事業として 安穏灯火リレーというものが開催されました。

本山より400年燃え続けている灯火を分灯し、北海道と鹿児島の2カ所から各教区をリレー形式で灯火の輪を広げていこうという行事です。

安芸教区では 私が所属している「単車倶楽部」という2輪同好会がそのお手伝いをさせていただきました。

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9月29日 国道2号線にて集合。山口教区との合流ポイントへ直行された方もいらっしゃいます。

ここから今回山口教区との合流点である錦川清流線(旧JR岩日線)の西岩国駅へ向かいます。

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岩日線は岩国駅から玖珂郡錦町(今は岩国市錦町)までを錦川沿いの美しい景色の中を走る路線です。錦町から日原の間は線路が開通しないまま第3セクター運営となっています。

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列車が到着するまで 安芸教区教務所長より訓辞を受けます。

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列車到着。2両編成ですがこのうち1両をリレーのために貸し切って走って来られました。今回の灯火リレーを受けられた山口教区本生組のお寺(錦町の善教寺さん 私の同級生のお寺 だと後で知りました)から錦町駅まで行道をされ(雅楽の演奏をしながらの行列)列車の中で雅楽演奏や法話会をされつつ西岩国に向かわれたそうです。

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山口教区の方々が灯火を運ばれてきました。(安穏号と名付けられたイベントカーは路線と並行して伴走 岩国の錦帯橋に続く錦川は大変美しい川です。)

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ここで安穏号に灯火を載せ、大型2輪で先導します。

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2輪スタッフは本山から貸して頂いた「安穏」の文字の入った法被を着用。
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国道2号線を先導していきます。

夕刻の2号線ですので それなりに渋滞しましたが、2号線沿線の御門徒さんに旗振りや声援を頂き任務遂行です。
750回大遠忌は京都で来春から開催されますが、健康上の理由などで京都まで行きたくても難しい方々には目の前を本山から分灯された灯火が通るのは特別な思いがあるのかもしれません。
実際に先導してみると、沿道の方の思いや声援が熱く響いてまいります。

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完全に日が暮れる前に 目的地である広島仏教学院(広島市西区南観音)(真宗学寮)に到着。
今回のリレーに合わせて仏教学院へ石灯籠を設置させていただきました。
学院の高松理事長のご厚意でこのような事が実現いたしました。

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教務所長より高松理事長へ分灯。

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分灯された灯火を仏教学院の講堂へ移し、皆で記念式典をお勤めさせていただきました。

これにて無事1日目の任務完了です。

この灯火リレー、昨年に安芸教区で企画した「ナナハン西遊記」という750回忌イベントとして本願寺に2輪で灯明を分けて頂きに上山させて頂いた行事が一つの契機になっているのだそうです。
地方の安芸教区で企画したものが本願寺で発展拡大し、全国規模で別な形として開催されるのは嬉しい事であります。



寂しいと思うのは・・・ [お寺]

亡くなられた方との別れを 「寂しい」 と思うことはごく当たり前の事なんだと思います。

確かに 今の時代 いつまでも悲しいとか寂しいを引きずっていてはいけないのかもしれません。世の中は前向き 前向き と振り返る勇気も反省もありません。

寂しさは時と共に薄らぐという方もいらっしゃいます。

 でもやっぱり 10年たっても 20年たっても 会えないというのは寂しい事です。

今の時代はこういう感覚をネガティブな物として避けてしまいます。いつまでも寂しさにとらわれてはいけないと「心の癒し」を人は求め、そうする事によって 寂しくない 悲しくない と考えます。

 でも それって 本人が勝手にそう思いこんで納得してるだけでしかないのでは?

亡き人への思いは そんな薄っぺらなものでは無いはずです。


いつまでも寂しいと思っていてはいけないのかもしれません、でも 寂しい と思えるのは亡くなられた方が居てくださった事を自分が大切に思っているからこそではないのでしょうか。
亡くなられた方の御恩に気づかされているから 会えない事を寂しいと思えるのではないでしょうか。

寂しいのは決して悪い事ではありません。何故寂しいのかを考えたとき、そこに大切な一つの命があってくださり、そのたった一人の方にであえた有り難さに気づく事ができるのなら、それは決して無駄にはなりません。

私たちは ひとりでうまれて ひとりでいきている わけでは無いのです。
そういう いのち に出遇っているからこそ、自分の命も人の命も同じ様に大切なのではないでしょうか。

時代に流されて捨ててしまってはいけないものは たくさんあります。見失わない様にしましょう。

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聞法道場での盆法要 [お寺]

とある地域の御門徒の方の依頼で、某所の説教所の盆法要に出講させてもらいました。

学生時代から報恩講の時には案内の方と狭い道を上がったり降りたりし歩き回る古い町です。
今は当時ほどではなく、猫道程度だったものが小型車ならなんとか入れるほど道は良くなりました。

説教所というのは、聞法道場 とか 布教所 と呼ばれるもので、定まった住職は居ないけれども寺院としての機能は持っている地域の集会所の事です。
以前はここにも常駐の管理人さんがいらっしゃいましたが、この春に諸事情で転居されたため今は無人。
宗教法人としての申請はしてない(通らない)ので行政の方からは地域集会所として維持されている様です。

お盆の法要で、この地域の私の寺の御門徒さんだけではないのですが、ほとんどの方は顔見知り。
以前にも御正忌の法座に出講させて頂いたこともあったり、葬儀で来たこともあります。

寺というと 普通は 住職となる僧侶が居て、寺院を開設し、そこへ門徒さんが集まると考える事が多いのですが、地域の方が聞法のために集まり、そのための施設が建ち、常駐する僧侶を招くという寺院の形態もあります。

安芸エリアには私が知っている範囲でも、東広島の近隣有志で設立された寺院、芸予諸島でその集落の一族の人が建てた寺院など決して珍しいものではありません。

現代の都市開教というと、中央から布教師を派遣し、寺院を設立し、そこへ聴聞に集まられるようになる と考える人が多いのですが、そういう物でもないのかもしれません。

在る意味 浄土真宗寺院の特徴です。

子供と子犬 [お寺]

娘はこの春から幼稚園に通うようになり、言葉もしっかりしてきました。
けっこう広島弁もきつくなってきておかしいくらいです。

いっぱいいっぱいしゃべりながら、はしゃぎ回る 走り回る ご飯食べる 泣く ごろごろする
かと思えばいきなり眠くなって爆睡。
やたらと人の側に寄ってくる、何かしてると横にちょこんと座って一生懸命見てる。

子犬みたいだね・・ と笑ってみてます。

この春までうちには16年ちょっと一緒に暮らした小さな犬が居ました。
嬉しいときも辛いときも常に側にいてくれました。

犬は人間の言葉がしゃべれません。でも聞くことはできます。

娘の姿を見て、「あ・・ あいつは こんなに小さな頃はこんな事思ってたんだな」と今になって思い出されます。

娘と同等に考えるのは不謹慎なのかもしれませんが、今になってあらためて、あいつと一緒に生きることができたことが尊く感じます。
嬉しい事です。

宗教の目的 [お寺]

宗教は何のためにあるんでしょうか。

「豊かな人生のため」 「人間として大切だから」 「幸せのため」 「有意義な人生のため」
ごもっともであります。

「立派な人生がおくれる」 「宗教が無ければ人生は虚しい」
たしかにそうかもしれません。 でも 宗教は人生の追加サービスなんでしょうか。

「御利益がある」 「事故にあわない」 「病気にならない」 「病気が治った」 「平和のため」
たしかにそうなるといいですけど、そんな目先の損得のためのものでしょうか。

目的があやふやなままで、自分の行動を評価して満足してるだけでいいのでしょうか。

「今は心が失われかけて殺伐とした世の中になっている、今こそ宗教が必要だ」
それもそうかもしれません。 でも 心の問題 だけ なのでしょうか。

宗教とか信仰とか言いながら、実は自分の目先の満足や損得にしか目が向いてない事も多いです。

宗教は、私たちの一番大切な 今まさに生きているこの「いのち」を見つめる事です。
人ごとでもありませんし、在ってもなくても良いようなものでもありません。

誰にだって命の終わりは確実に来ます。その限りある命を今生きているのです。
命の事をもっと真剣に考えていいのではないでしょうか。

人間万歳ばかり言ってても、肝心な命にはたどりつけません。

浄土真宗の教章 [お寺]

この春から浄土真宗の教章に一部変更がなされました。

所依の経典はあくまでも浄土三部経だと思いますが、正信偈や御和讃や御文章も付け加えられました。
社会実践にばかり目が向いてしまうと、達成感だけ優先されてしまって、大事な足下を見失うような気もします。

社会が人間肯定の自己満足に偏ってしまってる今では、少し心配です。

命は何年たとうが、いきとしいきるものの命の意味を変えるわけではありません。
宗教は自己満足でも知的満足でもその場しのぎや癒しではありません。
今生きているこの命の問題です。 人ごとではありません。

日記増設しました [お寺]

本業の方のHPは最近さぼりがちであります。
本業の方の掲示板を作るつもりはないのですが、放言の場所をちょっと作ってみました。
深刻な話は無しであります。
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